神聖ローマ帝国の貴族がベートーベンをつくった

神聖ローマ帝国領 ボン

ベートーベンの誕生の地はボンです。
ボンは神聖ローマ帝国の領内です。

神聖ローマ帝国は7人の大諸侯が大きな力をもっていて、彼らは選帝侯とよばれます。

ボンは選帝侯の1人ケルン大司教の教区の首都でした。

ケルン大司教はマクシミリアン・フランツ。
マクシミリアン・フランツはすごい血統です。
兄が神聖ローマ帝国皇帝、妹がマリーアントワネット。母親がマリア・テレジアというウルトラ超セレブです。

姉のマリー・アントワネットとその夫であるルイ16世を訪問するマクシミリアン・フランツ。

音楽・文化に造詣が深く、宮廷楽団の編成に力を入れたり、ボン大学を設立したりなど文化の風を吹き込んだのです。
音楽家が育つ土壌がつくられていたわけです。
ボン大学はベートーベンも入学しています。

ベートーベン音楽一家

ベートーベンの父も祖父もケルン大司教の宮廷音楽家として生計をたてていました。

1770年、ベートーベンが誕生します。

父親はベートーベンを音楽家にしようとDVぎみでベートーベンに暴力をふるいながらクラヴィーア(ピアノの元祖)を叩きこみました。

8歳の時、宮廷のオルガン奏者に師事するようになって以降、
・オルガニストの助手
・チェンバロ奏者
・オルガニスト代理
・ヴィオラ奏者
など才能を磨いていきました。

大パトロン ワルトシュタイン伯爵

このころ、出会ったのが音楽好きの貴族ワルトシュタイン伯爵。
この人がベートーベンの才能にほれ込み多大なるバックアップをしていきます。

ピアノを贈ったり、ウィーンでの滞在先をサポートしたり。
ベートーベンは「ピアノ・ソナタ第21番」をワルトシュタインに献呈しています。
後に「ワルトシュタイン」とタイトルがつけられました。

ウィーンへ

ベートーベンは1792年、神聖ローマ帝国皇帝(ケルン大司教の兄)が亡くなった際に捧げた「皇帝ヨーゼフ2世の死を悼むカンタータ」を作曲しました。
ベートーベンは当時、ウィーンで大御所だったハイドンに見せ弟子入りを許され、晴れてウィーンへ旅立ったのでした。
ベートーベン21歳の時です。

ウィーンに行ってからは、ありあまる財力をもった貴族からひっぱりだことなり名声を高めていったのです。

ルードフル大公

ベートーベンには初期から最後まで援助をし続けてくれた重要な人物がルードルフ大公です。
ルードルフ大公は神聖ローマ帝国皇帝レオポルト2世の息子です。
2人は作曲家と支援者であり、ピアノの先生と生徒だったのです。
ルードルフ大公には、「交響曲第8番」「ピアノ協奏曲第5番『皇帝』」「ピアノ三重奏曲『大公』」などを献呈しています。

神聖ローマ帝国の貴族社会あっての音楽家ベートーベンといえるでしょう。

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ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」 1楽章
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