ウィーンが「音楽の都」の理由。それはハプスブルク帝国の首都にあり。

ウィーンが「音楽の都」の理由

ウィーンといえば「音楽の都」といわれています。
モーツアルトもベートーベンもハイドンもウィーンを拠点に名曲を量産しています。

なぜなのか。

それはウィーンが当時「ハプスブルク帝国」の事実上の首都だったからです。

ハプスブルク帝国とは

「ハプスブルク帝国」はハプスブルク家の君主が統治する国家です。
18世紀にはヨーロッパ各地を支配・統合・干渉していました。

もとはスイスの小貴族にすぎませんでしたが、1273年にドイツ王国の統治者となったことを最初のきっかけに勢力を拡大し、1541年最盛期の頃にはメキシコ、キューバ、ペルー、フィリピンまでも支配領域としていました。

ハプスブルク帝国最盛期の皇帝はカール5世で長~い肩書を持ちます。
朕カール5世、神の恩寵によるローマ人の皇帝、いかなる時も帝国の拡大者、ドイツ、カスティーリャ、アラゴン、レオン、両シチリア、エルサレム、ハンガリー、ダルマチア、クロアチア、ナバーラ、グラナダ、トレド、バレンシア、ガリシア、マジョルカ、セビーリャ、サルディーニャ、コルドバ、コルシカ、ハエン、アルガルベ、アルヘシラス、ジブラルタル、カナリア諸島、カリブ海諸島、大西洋中の国々等々の王、オーストリア大公にして、ブルゴーニュ、ブラーバント、シュタイアーマルク、ケルンテン、クライン、リンブルク、ルクセンブルク、ゲルデルン、カラブリア、アテネ、ネオパトリアそしてヴュルテンベルク等々の公、ハプスブルク、フランドル、ティロール、ゲルツ、バルセロナ、アルトワ、フランシュ=コンテの伯、エノー、ホラント、ゼーラント、フェレット、キーブルク、ナミュール、ルシヨン、サルダーニャ、ズトフェンの宮中伯、アルザスの方伯、ブルクアウ、オリスターノ、ブルグシオの辺境伯、シュヴァーベン、神聖ローマ帝国のシュヴァーベンの候、カタルーニャ、アストゥリアス等々の候、フリースラント、ヴィンディッシュ・マルク、ポルデノーネ、ビスケー、モリナ、サラン、トリポリそしてメヘレン等々の領主

ウィーンに貴族が大集結

首都には貴族が集まってきます。
貴族はそれぞれ宮廷楽団をもち音楽へのニーズは高くありました。

また教会では最新の音楽が演奏され、こちらでも音楽は欠かせず、また音楽が広く一般の人にも浸透していくきっかけでもありました。

当然才能ある音楽家にはふんだんに作曲や教師への依頼があったのです。

1778年には、ウィーンで楽譜出版業が成立するようになったり、腕のいい楽器職人が育つなど音楽全体のシステムが構築されていったのです。

音楽の腕に覚えのある若人は”一発当ててやろう”とウィーンに出たのです。

ヨハン・シュトラウス2世作曲「ウィーンの森の物語」。バレンボイム指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団。

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