モーツアルト交響曲第36番の「リンツ」38番の「プラハ」はハプスブルク帝国の都市

モーツアルト ザルツブルクからウィーンに

モーツアルトは1756年にザルツブルクで生まれました。
ザルツブルクはザルツブルク大司教が君臨する独立国です。
宮廷作曲家の父のもと、音楽教育を与えられ子どもの頃から演奏旅行で活動をしていました。

成人したモーツアルトはザルツブルク領主のコロレド大司教とそりが合わず、1781年からウィーンに活動拠点を移します。

ハプスブルク帝国の地名がつけられた「リンツ」「プラハ」

ウィーンは”大帝国ハプスブルク”の事実上の首都です。

ウィーンでは音楽が盛んで才能のある音楽家が重宝されていました。

ウィーンに来てから作曲された交響曲は6曲です。

交響曲第35番 「ハフナー」1782年
交響曲第36番 「リンツ」1783年
交響曲第38番 「プラハ」1786年
交響曲第39番 1788年
交響曲第40番 1788年
交響曲第41番 「ジュピター」1788年

このうち、ハプスブルク帝国の地名が副題になっているのが2曲あります。
「リンツ」「プラハ」。

モーツアルト自身が副題をつけたわけではないと思われますが。気の合わないザルツブルク大司の元を飛び出してハプスブルク領内に入り伸び伸びと活動している様子が見えてくるようです。
リンツはオーストリアですからあたりまえにしても、プラハは現在のチェコです。
なぜチェコに? と思いますが、下記の地図を見ると違和感なく理解できます。

18世紀中頃のハプスブルク帝国


play_circle_filled
pause_circle_filled
モーツアルト交響曲第38番「プラハ」1楽章さび
volume_down
volume_up
volume_off

関連記事

  1. ナポレオン 戦争とベートーベン交響曲年表

  2. ウィーンが「音楽の都」の理由。それはハプスブルク帝国の首都にあり。

  3. ベートーベン交響曲第1番のパトロンは

  4. モーツアルト交響曲第35番「ハフナー」。ハフナー家のための曲

  5. N響 アレクサンダー・リープライヒ(指揮) 小菅優(ピアノ)

  6. 「G線上のアリア」もとネタは。

  1. モーツアルトのオペラ「魔笛」はフリーメイソンのための曲

  2. ベートーベンのパトロン 時代による変遷

  3. ベートーベンの弦楽四重奏曲の「ラズモフスキー」の意味

  4. マーラー交響曲第1番『巨人』。『巨人』とつけた理由は?

  5. 小林秀雄のモーツアルト評「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙…

  6. チャイコフスキーの死因

  7. ベートーベン交響曲第1番のパトロンは

  8. チャイコフスキーの妻

  9. モーツアルトと父レオポルト

  10. モーツアルトの妻・コンスタンツェの真実

  1. ナポレオン 戦争とベートーベン交響曲年表

  2. 「フィンランディア」ロシアからの独立への決意の曲

  3. ナポレオンの馬の絵の肖像「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト…

  4. モーツアルト、ベートーベンをビッグにした「ハプスブルク帝国」と…

  5. チャイコフスキー交響曲1番 「冬の日の幻想」さび

  6. モーツアルト交響曲第36番の「リンツ」38番の「プラハ」はハプスブ…

  7. 神聖ローマ帝国の貴族がベートーベンをつくった

  8. モーツアルトの生まれたザルツブルクは「ザルツブルク市街の歴史地…

  9. ムソルグスキー作曲『展覧会の絵』の「キエフの大門」はウクライナ…

  10. ベートーベンのパトロン、ラズモフスキーはコサックのリーダー=ヘト…