チャイコフスキーの死因

チャイコフスキーの死因

チャイコフスキーは1893年に53歳で亡くなりました。
死因については明らかになっていません。

その死が急死だったために、死因については当時もその後もさまざまな説が伝えられています。

その1. コレラ説
その2. 同性愛だったから説
その3. チフス説

その1.コレラ説
1893年、ロシアではコレラが断続的に流行していました。
チャイコフスキーが生水を飲んだことでコレラ菌に侵された、というものです。

新型コロナウィルスは飛沫感染・接触感染で感染するということですが、コレラ菌はコレラ菌がついた水や食物を摂取して、その菌が小腸に届くと毒素を出して発病するということです。
罹患のルートは異なるものの、今だからこそ「生水を飲んでしまったの? そこに菌があったの?」という無念さがより実感できます。

その2.同性愛だったから説
高貴なお相手の身内が怒り、毒物を渡して自殺させた、というもの。
この説が発表されたのは1978年、チャイコフスキー研究家のアレクサンドラ・オルロヴァ女史によってです。
このスキャンダラスな説は一世を風靡し、最大の音楽事典の一つ『ニュー・グローヴ音楽事典』にも一時掲載されました。
ただ、この説を否定する論文が出てると勢いは衰え『ニュー・グローヴ音楽事典』でも「死因は不明」と書き直されました。

亡くなる数日前に初演された曲

亡くなったのは1893年、この年に作られた交響曲は交響曲第6番 ロ短調『悲愴』です。
亡くなる数日前に初演されました。

play_circle_filled
pause_circle_filled
チャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』1楽章
volume_down
volume_up
volume_off
死を意識して作ったわけではないようですが、タイミング的にピタリ。
チャイコフスキーは”もって”ます。

関連記事

  1. モーツアルトの生まれたザルツブルクは「ザルツブルク市街の歴史地区」世界遺産

  2. ゲルギエフをミュンヘンフィルは契約解除してはいけなかった2つの理由

  3. チャイコフスキー交響曲第5番 さび

  4. モーツアルト、ベートーベンをビッグにした「ハプスブルク帝国」と神聖ローマ帝国

  5. 「G線上のアリア」もとネタは。

  6. モーツアルト交響曲第36番の「リンツ」38番の「プラハ」はハプスブルク帝国の都市

  1. ベートーベンのパトロン 時代による変遷

  2. ベートーベン交響曲第1番のパトロンは

  3. モーツアルト死の謎。わかっていること。いないこと。

  4. モーツアルトと父レオポルト

  5. モーツアルトの妻・コンスタンツェの真実

  6. チャイコフスキーの死因

  7. 小林秀雄のモーツアルト評「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙…

  8. モーツアルトのオペラ「魔笛」はフリーメイソンのための曲

  9. 【新説!】ベートーベン交響曲第3番「ボナパルト」から「英雄」に変…

  10. ベートーベン交響曲第3番『英雄』表紙。「ボナパルト」が消された!

  1. モーツアルト、ベートーベンをビッグにした「ハプスブルク帝国」と…

  2. ベートーベンのパトロン、ラズモフスキーはコサックのリーダー=ヘト…

  3. ベートーベン作品とパトロン一覧【カテゴリー別、パトロン別に見ら…

  4. ナポレオン 戦争とベートーベン交響曲年表

  5. チャイコフスキー作曲のオペラ『マゼッパ』はウクライナの英雄

  6. モーツアルト交響曲第36番の「リンツ」38番の「プラハ」はハプスブ…

  7. 神聖ローマ帝国の貴族がベートーベンをつくった

  8. ナポレオンの馬の絵の肖像「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト…

  9. ムソルグスキー作曲『展覧会の絵』の「キエフの大門」はウクライナ…

  10. ウィーンが「音楽の都」の理由。それはハプスブルク帝国の首都にあ…