モーツアルト交響曲第31,36,38番。地名シリーズ

モーツアルトは、1756年オーストリア生まれです。
モーツアルトは交響曲を番号が付けられているだけで41作曲しています。
第1番は1764年8歳の時、最後の第41番は1788年32歳の時です。
1791年に35歳で亡くなっています。

モーツアルトの生きたオーストリアは激動の時期でした。

モーツアルトの時代のオーストリア

オーストリアといえばもとは神聖ローマ帝国です。

ベートーベンの時代は、神聖ローマ帝国が崩壊してオーストリア帝国とプロイセン王国などの連合国・ドイツ連邦となった時期と重なっていました。

モーツアルトはこれよりも少し前の時代です。
オーストリアは神聖ローマ帝国の一部で、そのなかで強国でした。

ところが、神聖ローマ帝国が弱体化するにつれプロイセンが勢力を強めてくるようになりました。

モーツアルトの生まれた1756年はちょうどオーストリアとプロイセンの領土紛争が勃発した年でした。
この領土紛争はシュレジエン(現在のシレジア)を巡るものでした。

直接の当事者オーストリアとプロイセンだけではなく、ヨーロッパの強国が加わり2大陣営に分かれて戦った紛争です。

17世紀以降、イギリス、フランス、オランダ、スペイン、ポルトガル、ロシア、トルコなどの強国は植民地化できるとことはないかと世界を舞台にしのぎをけずっていました。

シュレジエン紛争にもこれらの国が群がってきて、いつのまにか植民地争奪戦で対立している常連、フランス対イギリスの戦争になっていました。

オーストリア陣営:フランス、ロシア、スペイン、スウェーデン。
プロイセン陣営:イギリス。

7年続いたので7年戦争とよばれています。

結果、プロイセン陣営が勝利します。
プロイセンの地位が高まり、オーストリアは低下したということになります。

この結果は今後のヨーロッパの枠組みを形作るきっかけとなりました。

プロイセン→ドイツ統一の主導権をにぎる。
イギリス→さらに植民地政策を推進。
フランス→国が弱体化しフランス革命が勃発。

モーツアルトの音楽活動

オーストリアが弱体化するということは、貴族の力が衰えているということです。
音楽家は貴族に仕えることで活動が保障されるという関係がありましたが、この恩恵は受けにくくなってきました。

一方、旧体制に代わり新興勢力が台頭するという状況でもなく、ベートーベンのようにパトロンがついてくれるという環境にもまだありませんでした。

音楽家にとってなかなか厳しい時代だったといえましょう。

というわけで、クライアントに恵まれないモーツアルトは、ヨーロッパ各地を飛び回って音楽活動を行う必要に迫られたのです。

モーツアルトの曲に地名のついた作品があるのもうなづけるというわけです。

交響曲で地名のついているのが、おなじみ

第31番 パリ
第36番 リンツ
第38番 プラハ

です。
ここではこの3曲を「モーツアルト交響曲旅芸人シリーズ」と命名します。

交響曲第31番パリ

1778年、モーツアルト22歳のときの作品です。

フランスのメジャーな定期演奏会「コンセール・スピリチュエル」の支配人からの依頼を受けて作曲したものです。
パリの聴衆の好みに合わせて作られたということです。

どうでしょうか。

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交響曲第31番「パリ」1楽章出だし
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交響曲第36番リンツ

1782年、モーツアルト26歳の時の作品です。

モーツアルトの妻はコンスタンツェ・ウェーバーですが、この結婚は父親からは反対されていました。
反対されていたものの、家族へ披露しないわけにはいかず故郷のザルツブルクに帰省し、その帰りがけに寄ったリンツで作られた作品です。

リンツではヨーハン・ヨーゼフ・アントン・トゥーン=ホーエンシュタイン伯爵邸に迎えられました。
そこで、伯爵から驚くべき依頼があったのです。
「数日後にコンサートを開くのだけれど、曲がないから書いて」と。
これを受け猛烈なスピードで仕上げたのがこの「リンツ」だと言われています。
この説が正しいとすれば、この常軌を逸した集中力は天才芸人ならではの仕事といえましょう。

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交響曲第36番「リンツ」1楽章さび
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交響曲第38番プラハ

モーツアルト作曲で有名はオペラに『フィガロの結婚』があります。
この曲は1786年に作曲されプラハでも上演されました。
これが評判をよび、モーツアルトがプラハに招待されて、自身の指揮で初演されたのが第38番プラハです。
「こないだのフィガロがよかったじゃなーい。今度はプラハに来て新曲やってよ」なんて言われたら、フリーのモーツアルトとしたら願ったり叶ったりだったことでしょう。

モーツアルト30歳の時の曲です。

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交響曲第38番「プラハ」1楽章さび
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