ベートーベンのパトロン
ベートーベンの作曲生活はパトロンによって成り立っていました。
パトロンは、大変裕福なセレブたちでベートーベンの活動を支援する方々です。
~伯爵、~男爵、~大公、伯爵夫人など絢爛たるお歴々です。
年 | ベートーベン年齢 | 交響曲 | パトロン |
1800 | 29 | 第1番 | スヴィーテン男爵 |
1802 | 31 | 第2番 | カール・リヒノフスキー侯爵(ドイツの侯爵) |
1804 | 33 | 第3番 | ロブコヴィッツ侯爵(ロウドニチェの貴族) |
1806 | 35 | 第4番 | オッペルスドルフ伯爵 |
1808 | 37 | 第5番 | ロプコヴィッツ侯爵/ラズモフスキー伯爵 |
〃 | 〃 | 第6番 | ロプコヴィッツ侯爵/ラズモフスキー伯爵 |
1812 | 42 | 第7番 | フリース伯爵(オーストリアの銀行家) |
1812 | 42 | 第8番 | ルードルフ大公(神聖ローマ帝国皇帝の息子(ベートーベンの教え子)) |
1824 | 53 | 第9番 | プロイセン国王 |
交響曲第1番のパトロン
交響曲第1番のパトロンは、スヴィーテン男爵です。
この人は音楽愛好家でもともと外交官なこともあり恐るべき顔が広く、バッハだヘンデルだモーツアルトだと交流がありました。
特にモーツアルトには”目をかけていて”後発なモーツアルトにヘンデルの編曲を依頼したり、バッハの魅力を伝えたりしたということです。
モーツアルトが没した際には葬儀費用を用立てたともいわれています。
スヴィーテン男爵が亡くなって9年後に「善行と公益を促進する貴族婦人協会」の後援によって慈善コンサートが開催され、これが「ウィーン楽友協会」発足のきっかけになりました。
ウィーン楽友協会は、日本ではお正月に中継されるウィーン・フィルニューイヤーコンサートでよく知られています。
ウィーン楽友協会大ホール
“つかみ”はOK?
スヴィーテン男爵はモーツアルトよりもさらに新進のベートーベンにもしっかりと目をつけました。
記念すべき交響曲1作目はスヴィーテン男爵への献呈です。
ベートーベン29歳、張り切って作曲したに違いありません。
大切なのは”つかみ”でしょう。
第1番1楽章の冒頭に注目です。
気に入ってもらえたのかどうなのか。
スヴィーテン男爵66歳、亡くなる3年前ということで最初で最後のベートーベンでした。
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第1番1楽章。こうきたか。
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