モーツアルトゆかりの地は
旅行会社の海外旅行で『モーツアルトのゆかりの地をめぐるオーストリアの旅』的なツアーが組まれることがあります。
どのような場所を観光するのでしょうか。
モーツアルトの生家はオーストリアのザルツブルクで、25歳の時にウィーンに移住します。
ですので、めぐる場所もザルツブルクとウィーンになります。
1 「モーツアルトの生家」(ザルツブルク)

1773年まで家族で住んでいたアパートです。現在はミュージアムとなっていて、モーツアルトが使用していたピアノ、自筆の楽譜、楽器、家具などが展示されています。
2 モーツアルト像のある「ブルク庭園(王宮庭園)」(ウィーン)

皇帝フランツ1世のプライベートガーデンとして1819年に建てられた植物庭園です。
この一角にモーツアルト記念碑があります。
作られた当時は別の場所に置かれていたものを1953年にこの公園へ移設したということです。
3 モーツアルトがマリーアントワネットに求婚した(!?)「シェーンブルク宮殿」(ウィーン)

シェーンブルン宮殿はハプスブルク家の君主が宴会用に使用した宮殿です。
モーツアルトは6歳の時から父親のレオポルトに導かれヨーロッパ各地を演奏旅行に回りましたが、その行程でシェーンブルン宮殿でも演奏したことがあります。
そこではマリア・テレジア(マリー・アントワネットの母)の前で演奏したといいます。
その時、モーツアルトはコケた、と。
そのコケたモーツアルトにマリー・アントワネットが手を差し伸べ、それに対してモーツアルトは「大きくなったらお嫁さんにしてあげる」といったというエピソードがあります。
4 コンスタンツェと幸せに暮らしていた「モーツアルトハウス」(ウィーン)
コンスタンツェと結婚して幸せに暮らしていた時代に住んで家ということです。
現在はモーツァルトのミュージアムとなっていて、肖像画や楽譜、映像資料などが展示されています。
オペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」「魔笛」はここで作曲されたということで、「フィガロ・ハウス」ともよばれています。
5 モーツアルトの追悼式が行われた「シュテファン大聖堂」(ウィーン)

モーツアルトが結婚式を挙げ、また亡くなった際に追悼式が行われた教会です。
6 モーツアルトが埋葬されている「St.マルクス墓地」(ウィーン)
モーツアルトは35歳で亡くなりました。 死因はおそらく病死であろうとされていますが、本人が当時精神的に不安定な状態にあり、「自分は毒殺される」と妻のコンスタンツェに訴えていたことなどから、今もミステリー的に語られることがあります。 病床で作曲し未完に終わった作品が『レクイエム』です。 この...
ただ、場所は特定されていません。
妻・コンスタンツェが立ち会わなかったため、どこかわからないということなのです。
現在、推定される場所に「嘆きの天使」像が建てられています。




