『絶望名言』。難聴のベートーベンの絶望名言とは。

『絶望名言』の第2弾が飛鳥新社より発売されました(1400円+税)。
「絶望名言」はもともとはNHKラジオ深夜便のコーナーです。
文学紹介者の頭木弘樹さんとアナウンサーの川野一宇さんが絶望をテーマにお話されるのです。
著名人が絶望した状況で残したことばを切り出し、「絶望どんだけーー」と語り合うのです。

深夜のラジオはふとんの中で一人で聴くもの。
この状況で絶望についてのおしゃべりを果たして聴くことができるのか。
なんでもなかったはずなのに、心のすき間に絶望が滑り込んできてしまったりはしないだろうか。
そう考えると聴くことにしりごみするようなちょっと怖そうなコーナーです。

ですがこれ、書籍だと軽い感じで絶望の世界を覗くことができます。

ラジオのおしゃべりを基本に活字に起こしているので、対話形式で読みやすくパラパラと開いたページからすぐに読み始めることができます。

古今亭志ん生

まず目に入ってきたのが

貧乏はするもんじゃありません。味わうものですな。

落語家の古今亭志ん生(5代目)の絶望名言。

志ん生は1890年、明治23年の生まれです。
15歳で家出して落語家になったはいいけれど、まったく売れず、結婚して子供ができても食っていけない時代に住んでいたのが、元沼地のゴミ捨て場に建てられた長屋ではっきりいって劣悪な環境。

名言は売れてからこの時代を振り返った自伝『びんぼう自慢』の中のことばだそうです

落語は詳しくないので、志ん生は大河ドラマ「いだてん」でたけしが演じていたなくらいの印象でしたが、なんておもしろさが味わい深い人なのか、と、落語が聞いてみたくなりました。

ベートーヴェン

そしてそして、ベートーヴェンも取り上げられています。
ベートーヴェンが難聴だったという話は有名ですが、難聴というのは聞こえないのではなくて「うるさい」のだそうです。

初めて知りました。

頭木さんはご自身で難聴を経験したからわかるというのです。
耳鳴りや気に障る音が耐え難く響いて聞こえるのだそうです。

えーーーー。

ベートーヴェンが難聴になるのは27歳頃で、30歳にはもうほぼ聞こえなかったというのですから、交響曲第1番を作曲した29歳の頃には、すでに道路の突貫工事の現場のような騒音の中で交響曲を作るといった状況だったのでしょうか。

そんな、ベートーヴェの絶望名言一つ。

希望よ、悲しい気持ちで、おまえに別れを告げよう。
いくらかは治るのではないか、
そういう希望をいだいてここまで来たが、
いまや完全にあきらめるしかない。
秋の木の葉が落ちて枯れるように、
私の希望も枯れた。
ここに来たときのまま、私はここを去る。
・・・以下続く

音楽家にとって、これ以上ないという絶望です。

これを知ってからは、「ジャジャジャジャーン」は「ガガガガーーーン」にしか聞こえません。

頭の中の記憶の音と音符や記号を図形のパズルのように組み上げた音楽なのでしょうか。
あんなにも素晴らしい曲を量産したというわけで、びっくりです。

ベートーヴェンを聴きたくなってきました。

向田邦子

人間なんてものは、
いろんな気持ちかくして生きてるよ。
腹絶ち割って、ハラワタさらけ出されたら
赤面して―
顔上げて、表歩けなくなるようなもの
抱えて、暮らしているよ。
自分で自分の気持ちにフタして知らん顔して、
なし崩しにごまかして生きてるよ。

『あ、うん』からの文章だそうです。
今さら向田邦子さんの文章を称える筆力は持ち合わせませんが、また改めて読みたくなってきました。

絶望から、魅力がみえる

聞きたくなり、聴きたくなり、読みたくなる。
つまり、ここで取り上げられている人物像が「絶望名言」によって生身の人間として生き生きと魅力的に伝わってくるのです。

これは、頭木さんの語り口と川野さんのちょっとさめた返しの絶妙なやりとりの効果で、この本の骨格になっているように思います。
頭木さんはご自身が難病を経験され、絶望の底で生きた経験がおありだということです。それでいて、ご自身の絶望を他人に押し売りすることなく、あくまでも体験をもとに登場の人物の絶望がどのような絶望なのか、心のうちを推しはかる。そしてそのことが結果として、人物の一番大切なものを浮き彫りにしているからなのではないかと思います。

この体験談に終始せず、それでいて一般評論でもない登場人物との距離感はどこからくるのか。
—「はじめに」に書いてありました。
他人の病気の話ほど退屈なものはないので自分の話はしない、と収録に臨んだ頭木さんは「自分の体験を語らないと、収録が終わりにならなくて、スタジオから出してもらえない」という状況だったようです。

テーブル一つにマイク2本の決して広くないスタジオに”監禁”され、自分の病気の話をしろしろと迫られる恐怖、ただ一つの脱出口の防音扉は開かずの扉、まさに絶望状況。

犯罪捜査ではやっかいな容疑者も取調室という密室で腕利き検事”割りや”にかかると自白してしまうといいます。

このスタジオの”割りや”がディレクター・根田知世己。
病気自慢はつまらない、だけれど一般評論だけでは頭木さんの意味がない。
このたぎる思いが昔の偉い人の不幸な話を今に生き生きと甦らせているのでしょう。

「絶望名言」を味わうことは、人が絶望という”事件”に直面したとき、絶望から脱するのではなく絶望しきる、そのことでその人の本質が立ち現われるのだ、という人間応援になっているのだと思います。

他、読みたくなる人物は、黒澤明、川端康成、遠藤周作、ゴッホ、など。
一覧で読めるのは本のよさ。

今日の一楽章は
「ガガガガーーーン」のベートーヴェン第5番出だし。

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