マゼッパとウクライナ
チャイコフスキー作曲のオペラに『マゼッパ』があります。
マゼッパは人の名前でウクライナの英雄で10フリヴニャ紙幣にもなっています。
豊な土地ウクライナ
ウクライナはドニエプル川という水資源と肥沃な土地での農業、牛、馬、鳥などの生育にも適した豊かな土地でした。
そのため、東から西から攻められる歴史が続きました。
マゼッパはコサックの指導者でその難しい環境のもとできわどい駆け引きを繰り広げウクライナの独立をめざしました。
コサックとは
コサックは、ドニエプル川沿岸を侵入者から守ろうと集まった自治的な武装集団です。
「ウクライナ」の名称の始まり
16世紀に、コサックの土地を「ウクライナ」とよぶようになりました。
ウクライナがキエフ・ルーシの首都であった時代からロシアの支配下におかれるまでの流れをまとめます。
狙われるウクライナ
タタール人支配
キエフ・ルーシで諸侯の争いが続きが弱体化して、侵入してきたのはタタール人です。
リトアニアの拡大
次にウクライナ方面に勢力を拡大してきたのが、リトアニアです。
ヨーロッパ最大級になったのは1362年です。
ポーランドの拡張
リトアニアの隣国ポーランドが力をつけ、ポーランド・リトアニア連合国となり、事実上リトアニアはポーランドに併合されます(1569年)。
コサック、ポーランドと戦う
ウクライナのコサックは支配下から逃れようとポーランドと戦います(1648年)。
ウクライナ、モスクワ大公国に支援要請
しかし、戦いは厳しく、ウクライナはモスクワ大公国に支援を求めます(1654年)。
モスクワ大公国は、タタール人支配時代に力をつけ独立していたのです。
モスクワ大公国の裏切り
ところが、ここにポーランドと敵対するスウェーデンがからむなどで、モスクワ大公国はウクライナを裏切りポーランドと和平協定を結びます(1656年)。
モスクワ・ポーランド、ドニエプル川沿岸を支配
モスクワ大公国とポーランドはウクライナのドニエプル川沿岸の東西をお互いの主権範囲として確定します(1667年)。
ウクライナとモスクワ大公国の援助関係は破られました。
コサックも、西・東で対立し、ウクライナは弱体化していきます。
マゼッパの登場 「ポルタヴァの戦い」
こんななか、登場するのがマゼッパです。
コサックの指導者マゼッパは当初モスクワ大公国とよい関係にありましたが、モスクワよりもスウェーデンにつくのほうがウクライナの独立に有利だと考え、最終的にモスクワと戦うことになります。
[スウェーデン軍とマゼッパ・コサック軍]vs[モスクワ軍とモスクワ側のコサック軍]の戦いです。
この戦いは「ポルタヴァの戦い」といいます。
「ポルタヴァの戦い」で勝利したのはモスクワ側。
ウクライナの独立はかないませんでした。
一方、モスクワはこの後強国となり、「キエフ・ルーシ」だった「ルーシ」をラテン語にした「ロシア」を用いるようになりました。
オペラ『マゼッパ』
この人物をモチーフにチャイコフスキーが作曲したのがオペラ『マゼッパ』です。
マゼッパ像は歴史的なものと少し異なるようですが、「ポルタヴァの戦い」は第3幕にあります。