ヤニック・ネゼ=セガン指揮 METオーケストラ マーラー5番 に行ってきた。
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
演奏:METオーケストラ(メトロポリタン歌劇場管弦楽団)
歌:リセット・オロペサ
曲目は
モンゴメリー:すべての人のための讃歌
モーツァルト:アリア「私は行きます、でもどこへ」「ベレニーチェに」 (ソプラノ:リセット・オロペサ)
マーラー:交響曲第5番
リセット・オロペサ アリア
METの歌手の生声はどんなものか。
芯が艶やかで柔らかく、そして鋭角だった。
ホールに切なくも明るく響きことばもはっきりと届いてくる。
指揮のセガンの肘が当たるのではないかと心配するほどすぐ横に立たれて歌う。
時にセガンがリセットに向き、「僕に歌って」と相手役をも務めているようだ。
歌手とオペラ指揮者のコミュニケーションとはこういうことなのだなと思った。
ヤニック・ネゼ=セガン METのマーラー第5番
マーラーの交響曲
マーラーの交響曲は大掛かりで重厚、で長い。
交響曲は10番まであるが(10番は未完成)、そのうち歌が入ってくる曲が5つあって、5番は歌なしオーケストラのみのパターン。
マーラーは作曲活動を続けながら1898~1901年までウィーンフィルの指揮者を務めた。
5番の作曲にとりかかったのはウィーンフィルの指揮者を辞任したすぐあとで、最愛のアルマと出会ったのもその年だ。
5番はマーラー絶頂期の作品といわれ、人気の曲。
これをヤニック・ネゼ=セガン指揮METが演奏するという。もうすごい。
セガンのMET
「冒頭のトランペットはちゃんと出るかな。どんな音かな」
と数日前から折に触れ気になっていた。
始まると。懸念を吹き飛ばす伸び伸びとしたトランペットであった。
曲調不穏なれど晴れやかに決めてくれた!
続く5分間で、もう今日はすごい何かが起こると確信した。
マーラー:交響曲第5番1楽章出だし。
演奏:レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1963年1月7日 録音
セガンが一音一音繊細にタイミング、強弱と振り付けているのがみてとれる。
セガンの指先・流麗かつ力強く弾む身体の動き・なげかける表情とオーケストラの呼吸が完全に同期してナノミクロンの響きとビッグバンの鳴りを自在にくりだしてくる。
歌手が表情をつけて感情を歌うようにオーケストラが歌い、劇的だ。
主の旋律をくっきりさせる演奏で、それが歌手を引き立てる技を身に着けた楽団の奥行なのかなと感じた。
テンポは少し急ぎの調子。
これがとてもわかりやすく聴ける。
トランペットの1楽章は葬送の音楽。
別に作曲した歌劇『なき子をしのぶ歌』のメロディーに基づいているのだそう。
暗い。
これがすき間なく2楽章に続いていく。
1楽章と2楽章はセットとして作曲されたということで、2楽章は「暗」から徐々に上り調子になっていく楽章。
弦が一斉に漕ぎ、ティンパニーが盛り上がるところで「ああ、本当にセガンが指揮をしているんだな、METが演奏しているんだな」と、早くも感激が湧いてきた。
3楽章はかわいらしいワルツだ。
セガン本領発揮でどんだけかわいらしいかなと入ったが、意外と締まった感じに聴いた。
ここでの主役はホルン。
ホルンもまた輝かしい。
冒頭もソロもうっとりだ。
トランペット、ホルンそしてトロンボーン、チューバとMETの金管は明るい音色でThe ブラスという感じ。
音量・質量・広がりたっぷりでコクがあってキレがある音色でこれだけでも何度も聴きたい。
さあ、4楽章。
有名な世にも美しい弦のコラボレーション。
“ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』で使われた”が枕詞になる章だ。「アダージェット」の表題をもつ。
なぜこんなに美しいのか。それはコントラバスであることがはっきりした。
弱ーく弱ーく聴こえないくらいの音でずっと弾いている。
ヴァイオリン、ヴィオラ、そしてハープが美しいのはわかるのだが、胸にじんとくる”何か”はコントラバスの微弱な振動だった。
5楽章は最高潮のフィナーレ。
もう泣きそうである。
弦がきれい、オーボエがきれい、チェロ軍団の速弾きが見事、つきつまった一体感が夢ごこちの世界。最後は大嵐のような盛り上がりで大興奮であった。
セガンは指揮者であるが、音楽監督だ。
音楽監督は一般聴衆を引き付けるエンタテインメント性にもあふれているのだなと感じた。
マーラーは重厚であるが、陽のエネジ―はち切れるセガンの魔法で大スペクタクル活劇になった。
マーラー:交響曲第5番5楽章大嵐のところ
演奏:レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック 1963年1月7日 録音
写真は龍角散Presents ヤニック・ネゼ=セガン指揮METオーケストラ来日公演2024ウェブサイトより
2024年6月26日 サントリーホール