ベートーベンのパトロン・ラズモフスキー
ベートーベンの大パトロンの1人にラズモフスキーがいます。
「ラズモフスキー」と冠のついた弦楽四重奏や、交響曲第5番『運命』、第6番『田園』などにかかわっています。

「ラズモフスキー1番」「ラズモフスキー2番」「ラズモフスキー3番」 ベートーベン作曲の弦楽四重奏曲は1番から16番まであります。 そのうち第7番、8番、9番はそれぞれ「ラズモフスキー1番」「ラズモフスキー2番」「ラズモフスキー3番」のサブタイトルがつけられています。 この「ラズモフスキー」...

▼▲でソートできます。 曲のカテゴリーごとに並べる時は「No」の▲を。パトロンごとに並べる時は「パトロン」の▲をクリックします。 No 作品名 パトロン 1 交響曲第1番 スヴィーテン男爵(オーストリア) 2 交響曲第2番 カール・リヒノフスキ...
ラズモフスキーはもとはウクライナの独立をめざしたコサック出身です。
コサックのリーダーをヘトマンとよびますが、最後のヘトマンがラズモフスキーの父でした。
最後のヘトマン
ヘトマンといえばマゼッパがいます。
「ポルタヴァの戦い」でモスクワと戦って敗れました。

チャイコフスキー作曲のオペラ『マゼッパ』の主人公マゼッパは、ウクライナの独立をめざすコサックの指導者です。コサックはウクライナの地を外敵から守るために結成された自警団。コサックの地をウクライナとよぶようになりました。
マゼッパの敗北後、ヘトマンはロシアに弱体化され消滅させたれていきます。
最後のヘトマンを務めたのがキリロ・ラズモフスキーでした。
キリロ・ラズモフスキーは西欧の教育を受け、若くしてヘトマンに就任し、宮殿や劇場をつくりました。
アンドレイ・ラズモフスキー
当時、ロシアの皇帝はエカテリーナで、彼女はキリロを退位させ、その代わりに広大な領地を与えました。
キリロの息子がアンドレイ・ラズモフスキーです。
アンドレイ・ラズモフスキーはロシアの駐オーストリア大使に就き、ウィーン会議にロシア全権として出席したのです。

ベートーベンのパトロンの変遷 ベートーベンはウィーンで作曲活動をするにあたって、パトロンの支援が非常に重要でした。 交響曲1番から9番のパトロンはつぎのとおりです。 1800年 交響曲第1番 スヴィーテン男爵 オーストリア 1802年 交響曲第2番 ...