ベートーベン 「ハイリゲンシュタットの遺書」

ベートーベンの謎の手紙

ベートーベンの死後”宝箱”が発見されました。
その中に有名な謎として知られる手紙が2つあります。
・ハイリゲンシュタットの遺書
・不滅の恋人への手紙

です。

ハイリゲンシュタットの遺書

“遺書”とされていますが遺言状的なものではありません。
ただ、難聴の絶望と死を意識したメッセージからなっていて、相続にも触れているなどから”遺書”とよばれているのです。

ハイゲンシュタットはウィーンにある地名で、温泉地でした。
ベートーベンは難聴を患っていて、湯治に訪れていたのです。
そこで書かれた手紙がそう呼ばれています。

「ハイリゲンシュタットの遺書」手紙の最初のページ 1802年10月6日

ハイリゲンシュタットの遺書は2つの部分からなる

ハイリゲンシュタットの遺書は
1802年10月6日付のものと
1802年10月10日付のものの2つがあります。

謎とされているのは、両方とも誰に宛てた手紙なのかが正確にわかっていないのです。

「ハイリゲンシュタットの遺書」の宛先

第1の1802年10月6日付の手紙の宛名には弟のカールが記されているのと、もともと「弟ヨハン」とあったスペースは削られて空白となっています。
また第3者に向けたと思われる部分もあり、いずれにしても複数人に向けて書かれています。

第2の1802年10月10日付の手紙の宛名は、1人に向けて、しかも肉親や恋人にだけ使われる人称代名詞で書かれていますが、誰なのかの痕跡もありません。

「ハイリゲンシュタットの遺書」第1部”超訳”

内容をざっくり”超訳”すると。

1802年10月6日 弟カールと****に。
あんたがたは、私を人間嫌いで扱いにくい男だと思ってるんだろう、どうせ。
それはとんでもなく失礼だ。
ほんとは私だって人と陽気に交わりたいタイプだし、人にやさしい立派な人になろうって思ってたんだぜ。
だけど。耳ですよ耳。他人より完璧に優れていたはずの耳が不治の病にかかってしまった。医者はみな藪医者で、何度も何度も回復への希望をくじかれてきた。
もう楽しくおしゃべりをすることなんてできない。
人が聞こえている音が自分だけ聞こえない屈辱は耐え難く、絶望で自殺をもよぎった。
でも。芸術がひきとめてくれた。
自分は創造を完遂するまでは死ぬわけにはいかないのだ。
もしかしたら良くなることがあるかもしれない、そしてないかもしれない。
覚悟はできているんだ。
私が死んだときはあなたたち2人を相続人とする。
公平に分けて仲良くするように。
友人がくれた楽器類は相続してもいいし、売ってもいい。
墓の下から役に立てるのだったらそれも喜びだ。
死は遅い方がいいけれど、もし死んだとしても満足だ。
死後は私のことを忘れないで。
幸せに。

「ハイリゲンシュタットの遺書」第2部”超訳”

1802年10月10日
ここでお別れです。
希望をもってここに来たのに諦めざるをえない。
ただ、去る。神よ、私はまた自然と人間の間で歓びを感じることができるのですか。
否。
それはあんまりだ。

ベートーベンの難聴のはじまり

ベートーベンは1770年生まれで27,28歳の頃から難聴が始まって、30歳の頃にはほぼ聴こえなくなっていたといわれています。
「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた1802年は32歳、まさに絶望の真っただ中だったと想像できます。

しかし、そのわりにその後の作曲活動はますます精力的になっています。
なので「文脈は悲痛でも新しい人生への出発宣言だ」との解釈もあります(小松雄一郎『ベートーヴェンの手紙』)。

交響曲第2番

この手紙が書かれた1802年は交響曲第2番が作られています。
絶望の中で作曲したとは思えない、特に4楽章は力強くスピード感あふれるかっこよい曲です。

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ベートーベン交響曲第2番4楽章
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